第二夜 「Strenger」
「姫は言いました。『悔しいけど、ここは一度引き下がりましょう』家来を一人置いて、姫達は自分の背丈ほどもある草むらに飛び込みます」

「……何をしている?」
食事を終え客室に戻ると、大きな執務用机に腰掛けた希愛が何かぶつぶつ言っている。部屋は電気がついておらず、大きな窓から差し込む青白い月明かりだけが希愛を照らしていた。呪文のようにぶつぶつ呟きながら、時々腕を交差させたりする仕草は、傍目に何かの儀式のように見えた。話の区切りがよさそうなタイミングを見計らっていたのだが、一向に終わりそうになかったので口を出すことにする。
「電気をつければいいのに」
壁にあるスイッチをつけて部屋に入る。希愛は軽やかに机から飛び降りると、朝霧の前まで歩いてきて、丁寧にお辞儀をした。
「……お帰りなさいませ。ご主人様」
身丈に合わないスーツなどではなく、普通の学生服だった。それもそこらの公立学校のものではなく、私立学校の高い制服のように見える。
「暗い所が好きなので、明かりを消して待っていました」
少し硬い表情。不安げに見上げる小さな頭に軽く手を置くと、朝霧は希愛の前を通りすぎた。
「この部屋は好きなように使えばいい。ただし、俺の持ち物には許可なく触れるな」
「はい。わかりました」
希愛はちょこちょこと歩き、寝台に腰かける。
それを横目に朝霧はノートパソコンを立ち上げた。パソコンが起動するまで幾分時間があり、無意識のうちに朝霧は希愛を見ていた。
「なんでしょう?」
「いや、別に」
なんだか希愛の態度が店の時と違う気がした。些細なことだが、それを探るのは悪いことをするような気分になり、思わず朝霧は顔を背けた。希愛はその行動に思った節があるらしく、朝霧の隣までやってくると顔を覗き込んだ。
「知りたいですか? さっき私が口ずさんでいた話」
「ああ。多少興味はあるな」
見当違いの質問だった。しかし、朝霧は言葉を置き換え、声にはしなかった。気まずい沈黙を避けれるのであれば、それも悪くないと考え直す。話し出す希愛の声を待ち望むように、野犬の遠吠えが部屋に届いた。
「私の趣味です。自分の知っている物語を口に出してみるのが」
パソコンが起動したため。希愛は気をつかってベッドの方に戻っていく。変な趣味だな、と内心思うが口にはしない。
「読書家なのか?」
メールをチェックしながら尋ねる。特に閲覧する価値のないものばかりだった。
「違います。本当に私のこれはただの趣味なのです。他人様には全く価値の無い戯言。私の中にある泉から、こんこんと湧き出る物語を言葉にして綴っているだけなのです」
「それは面白いな。小説でも書いて本にすればいい。上手くいけば水商売から足を洗えるぞ?」
「小説なんて……。私はただ口ずさむのが好きなんです。紙に綴るなんて面倒なことはしたくありません。きっと小説なんてものを書く人は相当キテる人です」
希愛が露骨に嫌悪的な態度を見せたので、ちょっと意外に感じた。
「キテる?」
「変人だってことです」
きっぱりと希愛は言い放つ。それが当たり前でしょうと言わんばかりだった。ぶつぶつと暗がりで自分の作った話を虚空に語るほうがよほど変人ではないかと思うが、やっぱりそんなことを口にはしない。これほど拒絶するとは、何か思うところがあるのかもしれない。当たり障りの無い適当な言葉でもかけてやるかと思った矢先、通信機が鳴った。
「俺だ」
〈社長、手に入れたデータをそちらに転送します〉
坂下だった。相変わらず仕事の早い男だ。
「ああ。何かわかったか?」
〈やはり軍には資料としてもらった以上のデータはありませんでした。ですが、街の病院関連のデータに興味深いものがありました〉
転送画面を見ながら、朝霧は別のデータファイルを立ち上げる。冷静に返事をする傍ら、朝霧は街の病院の記録などよく見つけてきたなと内心驚いていた。
〈軍団長の馬場なのですが、なんらかの病気を患っていたようです。もちろん、戦傷の可能性もあります。ただ、五年前を境に記録の更新が止まってますね〉
「完治した可能性は?」
〈精神的な病気みたいですが、俺はこの手のことは門外漢なのでさっぱりわかりません。ただ、相当重症だったのか医師が特例にそちらの屋敷に毎週足を運んでいたようです〉
妙だ。朝霧は独り首をかしげた。ここは警備会社なんかではない。師団、ましてや独立交戦権すら認められている軍隊だ。高度な技術を持つ専門の医療班を持っているはずである。民間人の医者を招いてまで治療する意図がつかめない。それに特例というのも気になる。
〈戦傷の可能性もあるので、俺は五年前以降馬場が関与した軍事作戦を洗ってみます〉
「頼む。あと担当した医師に関しても、その素性を洗え」
〈ところで社長〉
「何だ?」
〈何度も言いましたが、やっぱり俺はこの件に首を突っ込むのは反対です。これは一民間企業に任せていいような仕事じゃない。どのファイルをとっても機密扱いなんです〉
やや強張った坂下の声。坂下はその言葉を言うか言うまいか迷っていたようだが、意を決したように口にした。
〈俺たち殺されたりしませんよね?〉
「当たり前だ。馬鹿なことを言うな」
不安をあおらないようにするため、間髪おかずに返事をする。通信を切り、朝霧は大きくため息をついた。
坂下の懸念も当然だろう。
この手の調査というものは、本来独りで行うべきものではない。相手は武力を保有し、相手の意向によって調査官が殺される可能性がないとは言い切れない。また、それらの面からしても脅しや買収に繋がる可能性が高いとして、報告の公平性からも問題となることが多い。
ここだけの話し朝霧は一人で来たが、報告書には三名と記載されている。便宜上、そのように記載しているが、それがまかり通ってしまうほどこの国の風紀は乱れていた。
退屈そうに窓の外を眺めている希愛に目がいく。朝霧がこの少女を連れてきた理由の一つに「保身」が挙げられる。この少女がどこにどのくらい滞在しているかは、街の店主には知らせてある。同時に、もし戻らなければ軍本部へ連絡するよう手はずは整えてある。この少女がいる限り、睡眠中に襲撃されるという事態は避けることができる。もちろん、通信機を使って先輩へ連絡すれば、即座に軍の機動部隊が救出に来ることになっている。だが、それもこのような情勢では信頼のおけるものではなかった。彼らにしてみれば、調査官一人失踪したところで、次の捜査官を送ればいいだけの話である。
下手にボディガードを雇うよりもこちらの方が安全とは……。
朝霧は少女を盾にしようとする己の卑劣さに自嘲した。
「失礼します」
コン、コンと乾いた音が鳴り、ドアの向こう側から声が掛けられた。朝霧はノートパソコンを閉じてドアを開けてやった。
「夜分失礼いたします」
顔色一つ変えず雛月が整然とした姿勢で立っていた。
「構わない。何か用か?」
「ご入浴などのご案内をさせて頂きます。ご入浴は部屋の備え付けのものでもできますが、当屋敷には大浴場があり、午後六時以降翌朝八時まで使用できます」
「なるほど。ああ、場所はわかってるから説明しなくていい」
「畏まりました。それでは、明日の朝食に関してなのですが……」
こまごまとした話を真剣な表情で話す雛月。それを横目に、朝霧の注意は窓際に立っている希愛に向いていた。また、何か口ずさんでいる。さっきの話の続きだろうか。
「―――以上でございます。朝霧様、何かご質問はありますか?」
「えーっと、その、あれだ。おーい、希愛」
手をぶんぶん振ると、それに気づいた希愛が少し戸惑ったように振り向いた。
「お前夕飯食べたのか?」
「いいえ、食べてません。ご主人様」
首を横に振る。
「というわけで、すまないが……」
「畏まりました。すぐにお持ち致します」
優秀なメイドは慇懃深く一礼すると部屋を出て行った。立派な屋敷に律された使用人。朝霧は自分が別の国に迷い込んでしまったような錯覚に陥る気がした。
軍団長の馬場を探す。
これが今回の調査で最も重要なことであると確定したと言ってもいいだろう。あの男を探し出し、事情を聞くことができれば軍団の現在のありようも見えてくるに違いない。問題は馬場が死んでいた場合だが、それはその時に考えることにしよう。姫―――もとい寝宮は馬場が死んだとは言わなかった。それを前提に仕事を進めることにする。
「希愛、悪いけど俺は少し出かけてくる」
「うんっ!」
私今幸せの極地にいます! そんな表情で大きなハンバーグを丁寧に切り分けて少女は大きく頷く。所々コゲて、形も歪なハンバーグだったが、大変旨そうな匂いがしている。
夕食のメニューが違うのは何故だろう?
そんなことをふと思ったりしたのだが「申し訳ありませんが、招かれていないお客様である以上、今後もお食事はこちらで摂っていただくことになります」と雛月がすました顔で言ってくれたので深くは追求しないことにした。
もう一度拳銃の安全装置を確かめてから、朝霧は部屋の外に出る。
どこを歩いても、ついつい思ってしまう。立派な屋敷だと。等間隔で廊下に飾られている花はどれも素敵で、センスの良さが伺われる。
年代モノの木の廊下は、歩くとコツコツと気持ちのいい音がする。今は夜ではあるため外の景色を堪能することができないが、三方を山に囲まれたこの屋敷である、さぞかし自然に恵まれた深緑の景色を堪能することができるだろう。
気分よく歩いてはいるが、屋敷の地図は頭の中に入っている。
一応通信機にデータを転送してはあるが、それを見るまでもない。確かにこの屋敷は大きいが、故に構造はそこまで複雑なものではなかった。不自然な間取りはないし、洋館につきものの隠し部屋らしきものもない。だが、それも図面での話。後から継ぎ足されたことも考慮して、こうして屋敷の中を歩きまわることにしているのである。
「……やはり図面通りか」
全ての廊下を歩きつくしたが、改修された場所はなかった。廊下にところどころ置かれている花瓶や絵画にも不自然な点はなく、それらの装飾品はどれも一級のものだった。
「税金の無駄遣いだな」
国を守る金で美術品を買うとは……思わず苦笑が漏れた。
今後は各部屋の中を調査することになるが、それも一つ一つ潰していかなければならないかと思うと少し気が遠くなる。
思い切って馬場がどこにいるのか直接聞いてみるか?
あの女なら顔色一つ変えずに教えてくれそうだが、その代償は高そうでもある。
というか、
「『……お前の部屋の床下で冷たくなってるわよ』なーんて言われたら寝覚めが悪いしなー」
はっはっは。と独りシャレにもなってないことで笑っていたが、虚しくなってきたのでやめる。ここは辛抱強くひと部屋ずつ見て回るか。
「朝霧様」
「うわっ!」
気分を新たにした途端、足元から突然声が聞こえてきて、心臓が跳ねた。雛月だった。体を屈めて柱の影に座り込んでいる。
「迷子になられましたか?」
体育座りしたまま真剣な表情で尋ねてくる雛月。一応本気で心配しているらしい。危うく拳銃を取り出しそうになったため、不自然に腰の位置にあった右手を素早く頭に回した。
「ち、違うけど。雛月さんどうしてそんなところにいるの?」
ぽりぽりと頭を掻いて誤魔化す。朝霧の言葉に何か思うことがあったらしく、雛月の顔がむっとした表情に切り替わった。
「私はさぼっているわけではありません」
どうやら朝霧の発言を、仕事への不忠だと勘違いしたらしい。
「誰もそんなことを言ってないんだけど」
「朝霧様。私は姫様にお暇を頂いたので、こうして休憩していたのです」
廊下の隅に座り込んで?
「そうです」
や、そんな堂々とされても。
「朝霧様こそ、こんな時間帯に屋敷内を出歩くなんて一体何を考えているのですか?」
「……その、あれだ。こういう大きな家に来ると子供心が疼いて、探検したくなるというか」
みるみるうちに雛月の表情が冷めていく。すごく冷徹というか「何コイツ」みたいな、ちょっと小馬鹿にしたような表情というか。
「いい歳した大人が心ときめかせて恥ずかしくないんですか?」
非難がましい声。
「すいません」
反射的に謝ってしまった。それで勢いづいたのか、雛月はすくっと立ち上がる。それでも朝霧よりは背が低いので見上げることになるのだが、少しだけ迫力が増した。
「いいですか、先ほどもご案内しましたけど、このお屋敷は夜の十一時が消灯時間なのです。みだりに廊下を探検してはいけません」
ちらりと腕時計を見る。
十一時まで五分前というところだった。いつの間にかかなり時間が経っていたらしい。
「……すいません。時計、見てませんでした」
やっぱり自分が悪かったみたいなので、もう一度謝る。
「わかったのならかまいません。以後、気をつけてくださいね」
素直な朝霧の態度に満足したのか、雛月はふんっと鼻を鳴らした。こんなに表情豊かな人だとは思ってなかったので、内心少しだけドキドキした。
「では、お部屋に案内しますので、ついてきてください」
目を離すとまた勝手に出歩きそうなので、直接送っていくことにしたらしい。心内を見透かされたようで、釈然としない。確かに部屋の一つでも見てから帰ろうとは思っていたが。
「ところで、雛月さんもこんなところにいては十一時までに部屋に戻れなかったのでは?」
「私は丁度自室に引き上げるとこだったのです」
いつの間にか顔色一つ変えないポーカーフェイスに戻っていた。
「さっき休憩してたって言いませんでした?」
「……私が住み込みで働いているとどうしてわかったのですか?」
露骨に話題を変えてきた。まぁ、深くは追求しないでおこう。誰にでもプライベートはある。
「カマかけてみただけです。これだけ大きな屋敷ですし、近くに民家はありません。となると住み込みかなと」
「鋭い洞察力ですね。探偵に向いていらっしゃるかもしれません」
「ですからこの仕事を任されたのですよ」
「……」
雛月は何か考えているようだった。
十分ほど歩いて客室の前に到着した。
「言い忘れましたが、今後お屋敷内は探検禁止です」
「へ?」
「気持ちは分かりますが、ここは姫様の邸宅なのです。朝霧様は女性の家を漁るのが趣味なのですか?」
「……自重させて頂きます」
「ご理解頂けたならかまいません。いいですか、他人の家を探検して許される人なんてゲームの勇者だけです」
「雛月さんってゲームとかするの?」
意外な発言だったのでちょっとつっついてみる。
「……いけませんか?」
カッと顔が赤くなったかと思うや否や、くるりと背けてしまった。
「つまらないことを言ってないで、早く自室に戻ってぐっすりお休みになられてください」
怒らせてしまったかもしれない。
朝霧は謝罪すべきか迷ったが、振り向いた雛月の表情がいつものすまし顔だったので普通に挨拶することにした。
「それじゃあ、お休みなさい。雛月さん」
「……あの、差し出がましいことなのかもしれませんが、私は今の朝霧様の喋り方の方が好きです」
「へ?」
うあ、しまったあああっ。
廊下で驚かされてから、動揺して尊大な口調や仕草をすることを忘れていた。かなり地になっていたらしい。
「薄々思っていたのですが、やはり今の方が自然な感じがします」
しかも、三文芝居はバレていたらしい。
「そ、そっか。それじゃあ、これからはこのままにしようかなー」
「是非」
雛月は穏やかな笑みを浮かべて、深々と頭を下げた。
「お休みなさいませ、朝霧様」
「ああ、お休み」
改めて言葉を交わし、部屋に戻った。