第一夜 「Wonder」
初夏の足音が聞こえてきそうな昼下がり。
一日数本のバスしか通らない田舎道を、二年のローンを組んで買った中古車をのんびりと転がす。気候もよく、ドライブにはうってつけの日和だ。等間隔で立っている電柱以外、見渡す限りの田園地帯。青々と息づく稲が目に鮮やかに写った。
これが本当に休暇を利用した旅ならどれほど幸せなことだろうか。
朝霧は煙草を咥え、ライターで火をつけた。
排煙の為に窓を開けると、涼しげな風が車中に飛び込んで来る。ふー、と吐く煙越しに見えてくるのは一軒の大きな洋風の屋敷だ。それこそが今回の旅の目的地であり、今回の仕事場でもあった。
今から二週間前のことだ。
国内に潜入している敵国の工作員が、公共施設に見立てていた政府主要施設を攻撃、占拠した。この施設は市街地にあり多数の市民が現場に居合わせたため、瞬く間にニュースになった。政府はこの事件をあまり表沙汰にしたいとは考えておらず、速やかな解決を望んだ。そこで特殊作戦軍団に出撃命令が下る。作戦内容は明らかにされていないが、篭城する工作員の武装解除及び施設の破壊といったところだろうと推測される。
軍の公式発表によると精密な爆撃を行うため、誘導装置を施設主要箇所三つに設置。上空に待機した爆撃機からの空爆により施設を無効化する予定だった。
不幸なことに実際は爆弾の一発が何の関係も無い近くの小学校に着弾。避難指示が出ていなかった小学校には児童がおり、普通授業を受けていた。投下された爆弾はまだ幼い百数十名の命を一瞬にして奪い去り、周辺地域に多大な損害を与えたのだった。
政府の用意した「犯人グループによる自爆テロ」というシナリオは、急遽「警察力では解決できなかった事件」と書き直され、軍の介入を認めた。それと同時に極秘作戦の失敗を認め、軍事調査委員会を設立。誤爆も含め、作戦を担当した特殊作戦師団に対して内部調査が行われることになった。結果は全て公表し、責任者を軍法会議にかけるということを公約する異例の事件である。
世間は一連の政府及び軍の対応に不満を言いながらも、静観状態である。
「ようこそ、風鳴り地方都市へ。遠路遥々お疲れでしょう」
歓迎の言葉もそこそこに、朝霧は屋敷へと足を踏み入れた。屈強な兵士にエンジンキーを手渡し、厚手の扉を開く。屋敷の大きさは見掛け倒しなどではなく、広く荘厳な玄関だった。その玄関に溶け込むように、一人のスーツ姿の男がお辞儀をしていた。
「部屋をご用意させていただいております」
若造と舐められるかと警戒したが、思いの他丁寧な出迎えだった。もうお互い仕事に入っていると考えてもいいだろう。最初の予定通り高慢な口調、尊大な態度で臨むことにする。
「ああ、それはありがたいが、まずは軍団長に会って着任と令状宣言を行いたい。手配してくれ」
出迎えた男は六櫻という名の副軍団長だった。戦傷なのか片方の口が耳元まで裂けており、そのせいで常に笑っているように見える。不気味な男だった。
「軍団長殿は現在所用にて不在でございます」
「……馬鹿な。俺の到着時刻を知らないはずがないだろう?」
朝霧の問いに答えることなく六櫻は歩き出していた。慌ててその後に続きながら、思考を巡らせる。
今回の内部調査は軍団の解散にまで繋がりかねない重大な案件である。この軍団が明日以降も軍隊として認められるかは朝霧の報告書にかかっている。つまり、この軍団にとって朝霧はVIP待遇されるべき人間ということになる。
その自分に挨拶一つ無しとは……ここの軍団長は余程の大物か無能のどちらかだ。
黙る朝霧の内心を見透かしたのか、六櫻は視線だけ寄越して答えた。
「安心してください。時が来れば会えますから」
「楽しみにしているよ」
心底な。
「ええ。きっと貴方様もお気に召されると思いますよ」
意味深な発言を残して朝霧は部屋に案内された。
「ご入用の際は何なりとお申し付け下さい」
「ああ。勿論そうさせてもらう」
六櫻が退室したのを見届けて、部屋を見渡す。
広い客間だった。窓は四つ。豪華なカーテンがついており、凝った装飾が施されている。執務用に用意された机も申し分ない高価なものだった。ベッドも置いてあり、大きさから見て三人は余裕で寝れそうだ。部屋の仕様を一通り確認すると、隠しカメラや盗聴器といった類の機器の有無を調べる。
それらが無いことを確認した上で朝霧は携帯電話を手に取った。実際は携帯電話に偽装した通信機だが。
「……あー、もしもし? 先輩? 俺ですよ俺? え? 分かんない? やだなぁ、俺だってオレオレ! めくるめく熱い一晩を過ごした俺ですよ」
プツッ。
途切れるような音がして、電話が切られた。
再度電話する朝霧。
「……あ、先輩ですか? すいません、もう冗談は言わないので切らないで下さい。民間軍事会社イージスより派遣された公式調査官朝霧豊、只今を持って特殊作戦軍団内部調査を開始します」
〈了解した。こちらも全力でバックアップに当たる。公正な報告書を期待している〉
「任せて下さい」
〈定時連絡を忘れるな。以上〉
プツッ。
こちらの返事を待たずに通信を終了してしまうのがあの人らしい。今連絡したのは作戦指令本部。国防軍の全権を握るブレインである。軍隊にいた頃の先輩が勤めている場所でもある。今回の仕事はこの先輩のコネで手に入れたようなものなので、先輩がバックアップについてくれるのは当たり前なのだが、何だか主導権を握られているようで腹立たしい。
「出世のためなら親友でも踏み台にする人だからなぁ」
朝霧は独りごちて、次の相手に通信を入れた。
〈お、社長。生きてましたか? 通信が遅いものだから、消されたのかと思ってましたよ〉
「勝手に殺すな。面倒だったから現場に入ってから連絡することにしたんだ。そっちの首尾はどうだ?」
〈万事順調ですぜ。ハッキングでも何でもお任せ下さい。夜が寂しければ女の画像もすぐに送って差し上げますが?〉
ひひひと通信機の向こうで笑っている声が聞こえる。
このふざけた声の主は坂下といい、朝霧の会社の数少ない社員の一人だ。元ハッカーで、軍の機密事項にハッキングして捕まった経歴を持つ。
「白崎はどうしてる?」
〈姉御? 姉御ならまだ南方でお仕事してますぜ〉
「すぐに呼び戻せ。あと、お土産を持って来いと伝えろ」
〈へいへい。人使いが荒いんだから。言っておきますけどね、怒鳴られるのは俺なんですよ?〉
文句が垂れ流れてくる通信機を耳から外し、朝霧は窓の外を見た。
遠方から一目で分かるほど豪華な装いのこの屋敷は、公立学校並の敷地があり、使用人や兵士と思われる人間が多数出入りしている。最も特殊作戦軍団という名称から来るように、非正規的な軍事活動をすることが多い軍隊なのでこの屋敷の人間全てが兵士の可能性がある。
〈―――から、給料安すぎだと思うんですよ。……ちょっと、聞いてます?〉
不満げな声が聞こえて来る。
「ああ、勿論。昇給の件については考えておこう。では、また後で連絡する」
ピッ。
一方的に通信を終了して、次は持ってきた物を確認する。
「……ま、こんなもんか」
朝霧は拳銃を懐に忍ばせると屋敷を後にした。
真面目な話、朝霧はここに例の事件の調査に来たわけではない。そんなことは軍や警察の関係者たちが血眼になって調べている。民間軍事会社―――それも軍事顧問として戦術・戦略を扱うことを専門とする会社を営む朝霧の仕事は軍団の内情を探り、軍団が軍団として機能しているかを確かめることである。そうすることで、この軍団の誰に対して今回の事件に対する処罰を行うかがはっきりするからだ。
だから考える。
軍団が軍団として機能しているかどうかを確かめる手段は何か?
「いらっしゃいませ〜」
黄色い声が朝霧を包む。
ちょっとした山間部にある屋敷から、十数キロ車を転がせばそこは一級の地方都市である。一応この地方最大の都市であり、軍団はここの防衛のためにも置かれている。
「一番手っ取り早いのは暴動でも起きた時なんだよな」
物騒な考えだが、軍事行動をさせることで軍団の機能を正確に確かめることができる。指揮系統から実戦行動に至るまでの端々が誤魔化しようも無く浮き出てくるからだ。
「はい?」
隣に座っている女の子が怪訝な顔で俺を見ていた。
「……ああ、いや、何でもない」
女の子は大して気にする様子もなく、グラスに酒を注いでくれる。それを手に取り、舐める程度に口に運ぶ。しゅわっと冷えたアルコールと果汁が口内を満たした。
ここは都市の中でも一番大きい風俗店。表向きは酒場を装っているが、誰の目にも明らかな風俗店だ。軽いお触りからあんなことやこんなことまでやってくれる場所である。匿名性の高いこの手の店は、それこそ不特定多数の人間が出入りし、多くの情報が交錯する。
最初、妙に甘ったるい空気が充満する店内に足を踏み入れた時は、軽い情報収集で済ませるつもりだった。
だが無駄に仕切りの多い店内で、グランドピアノを背に歌を歌う少女がいた。
誰もが色目を使いながらも、その娘には決して手を出そうとはしない。ただ、その少女が歌う妖艶な歌に耳を傾けているだけである。
俺は店主を呼びつけると、すぐにその娘に自分の相手をさせるようにいいつけた。
「……どうしたんですか?」
こうして連れてこられたのが店で一番人気がある娘、希愛だった。
「キアとは良い名だ。どういう字を書くんだ?」
栗毛色の髪に、男を虜にする大きな瞳。年齢詐称しているのは目に明らかなほど希愛はまだ年端もいかない少女だった。それでも年齢にそぐわない発育の良さが情をそそる。
不穏な取引の後に舞台から引きずり下ろしたためか、朝霧を少々警戒している。それでも希愛は自嘲気味に答えた。
「希薄な愛と書いて希愛です」
僅か一瞬、自分を蔑むような笑みを浮かべたように見えた。だが、希愛はすぐに愛嬌ある笑顔に戻り、愛想の良い笑みを浮かべた。
朝霧はその一瞬で希愛という人間の本性を見た気がした。
「俺が誰だか分かるか?」
「……ごめんなさい。ちょっと分からないです。でも、偉いお方なんですよね」
「何故そう思う?」
「私をここに連れてきたからです。今まで一度も私を買い取った人はいませんでしたから。あの、お客様のお相手は慣れていないので不束なこともあるでしょうけど、一生懸命ご奉仕しますのでよろしくお願いします」
偉い人=金持ち。この娘も例外に漏れることなく、この国の摂理を理解している。会社の金をこんなことに使っていることがバレた日には、自分は殺されるかもしれない。それくらいこの娘は高かった。
「今世間で話題になってる例の爆破事件があるだろう?」
「あの小学校に爆弾が落とされたってお話ですね」
「そうだ。俺はそれを行った軍団の調査に来た男だ」
「それはすごいです! お仕事頑張って下さいね」
「ああ、だからこの数日間たっぷりと愛してやるから覚悟しておけよ」
愛してやるという直接的な言葉に、希愛は少し戸惑ったような顔をした。常識テストは合格だ。希愛は世間に疎くない。後は信用を得て、この街の実情を探ればいい。社会の綻びっていうのは希愛のように、下の生活を強要されている人間の目にしか映らないものだからな。
「早速だが、俺はもう行かなければならない。住所を書いた紙をここに置いておく。あと、そのドレスも悪くは無いが、これから来てもらう場所には不釣合いだ。これでもっと品のある服を買って来い」
札束と住所を書いた紙を渡すと、希愛は目を白黒させた。
「は、はい。喜んで。御主人様」
……自分の名前教えて無かったな。まぁ、そのうち教えることにしよう。希愛を買った目的は情報収集だけではない。他の理由も含めて希愛には世話になるだろうから親密になっておく必要がある。
思考を巡らせながら、朝霧は店を後にした。
車を飛ばして、急いで屋敷に戻った。鍵を受け取ろうとする兵士に断りを入れ、駐車場に車を回す。車を停めて、正面玄関へと歩いていく途中で屋敷の庭を見ることができた。噴水のある見事な庭だった。
庭園とも言える屋敷の庭で、六櫻が花に水遣りをしていた。
「意外ですか?」
背後の気配に気づいたのか、振り向きもせず尋ねられた。
「意外というか、シュールな光景だな」
純粋に感想を述べてやると、六櫻の肩が不気味に上下した。不気味な奴だ。声を消して笑っているらしい。
「失礼。戦場暮らしが長いと、声を消して笑うのが癖になってしまいましてね」
「貴殿の武功は聞いている。相当優秀な軍人らしいな」
「私なんかはまだまだですよ。部下を死なせてばかりです」
褒めてみたが、反応はイマイチだ。方向を変えてみるか。
「この素晴らしい花壇は貴殿が?」
「ええ。ガーデニングは私の数少ない趣味の一つなんです」
「なるほど。しかし、これほどの庭を造るとなるとかなりの年月がかかるのでは?」
「そうですね。もうかれこれ十年以上はここにいます。任務を終えて、ここに帰ってきて、こうして彼女達に水をやることが私の生きがいなんですよ」
彼女達ね。六櫻は未婚者なのだろうか。ここに来るまでに一通りのデータを貰ってはいるが、組織が組織ゆえ提示されない情報の方が多い。幸いこの屋敷を拠点にしていることは間違いなさそうなので、ここの屋敷の人間を一通り洗った方が良さそうだ。
「植物は人に安らぎを与えると聞いたことがあります。俺もこうして見ているだけで癒されますよ」
「気に入って頂けたようで嬉しい限りです。部下たちにはあまり受けがよくなくてね」
庭の話はもういいだろう。最後にちょっと突っついてみることにする。
「俺は一介の調査官に過ぎないが、これでも軍の内部には詳しい。貴殿の武功を見るに一つの軍団を任されてもおかしくはないように思う。良ければ調査書に境遇の改善を書き記そうか?」
暗に出世をちらつかせてみる。
「私はこの軍団が気に入ってるんですよ。他の仲間と戦争に行く気にはなれませんね」
六櫻は肩をすくめるだけだった。
「つまらないことを言ってしまった。非礼を赦してくれ」
踵を返して屋敷に向かう。
そんな朝霧の背に、六櫻の言葉が届いた。
「二人目ですよ」
思わず足を止めて振り返る。
「この庭を気に入ってくれたのは、隊長と貴方だけです」
耳まで口が裂けている六櫻の顔は、やはり笑っているように見えた。
部屋に戻ると、ノートパソコンを立ち上げた。
屋敷の間取りはデータ化して取り込んである。通信機を取り出しコードを繋ぐと、それを転送してしまう。
窓から差し込む西日が眩しい。
「夕食まではまだ時間がある。実際に間取りを確認しておくかな」
そういえば希愛のことを話しておかねばいけないのだった。六櫻に会ったのに、つい仕事のことで頭が一杯になっていた。
パソコンを起動したついでに、対人関係の資料も閲覧する。
六櫻 高貴。
特殊作戦軍団副団長を務める男。輝かしい軍歴とは別に、喪った部下の数も記録されていた。この軍歴は全てとは言わないが、ほとんどが捏造されたものだ。特殊作戦軍団の任務は記録に残らない。顔の裂傷も南方戦線での任務遂行中、敵戦車砲による負傷と記録に残っているが、南方戦線で敵は戦車を持っていなかった。
馬場 錬磨。
特殊作戦軍団軍団長。軍団の全権を握っている。今から十三年前に着任。南方戦線、大陸紛争に従軍し、皇室侍従勲章を得るほどの活躍をする。
「皇室侍従勲章を在軍中に貰うとはね」
強面の写真を見ながら、朝霧は通信機に手を伸ばした。この男は立場上全てを知っているに違いない。ある意味、この男に関する調書をまとめれば俺の仕事は終わりかもしれない。
「坂下か?」
〈ったり前よぅ! ……ごほん。何の用でしょうか?〉
「至急特殊作戦軍団の主要人物を洗え。先輩のツテを利用して軍のデータベースを漁るんだ」
〈いいですけど、前回渡した以上の資料は作れないと思いますよ?〉
「社会保障番号とかも洗えと言ってるんだ。とにかく、この男達の全てのデータが知りたい」
〈へいへい。ったく、よくもまーそんな男だらけでむさい場所にいるのに、更に男のデータがいるなんて……。やめてくださいよ? そっちの趣味に目覚めるとか〉
「部下の減給に目覚めることならあるかもな」
〈……仕事してきます〉
「頼んだぞ」
通信機を切り、朝霧は一息ついた。大したことをしていないと思うのだが、妙に疲れた気がした。
不意にドアを叩く音が部屋に響く。
「誰だ?」
「失礼します。使用人です」
若い女の声だった。
「……入ってもいいぞ」
机に置きっぱなしだった通信機を隠すと、朝霧は部屋に招きいれた。
「森宮雛月と申します。本日より朝霧様の身の回りのお世話をするよう言い付かっております。よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀するその慇懃さとは裏腹に、朝霧の視線はまず彼女の服装に釘付けになっていた。西欧風の給仕服を着ているが、簡素なものではない。エプロンドレスという言葉を聞いたことがあったが、これはまさにその言葉が相応しいだろう。黒を基調とし、フリルを惜しげもなく使っていて、仕事するには動きづらそうにも見える。
「ああ、滞在期間は短いがよろしく頼む」
まるで人形だな。大和撫子を連想させるストレートな黒髪は肩のところできっちりと切り揃えられており、綺麗で端正な顔立ちをしていた。
「それでは朝霧様。晩餐の仕度が整っております。そちらにスーツをご用意させて頂きましたので、着替えが終わったら私をお呼び下さい」
言いたいことを告げると、雛月は部屋の外に出てしまった。
ベッドに視線を向けると、確かにスーツが置いてあった。こんなに堂々と置いてあるのに気づかなかった自分に軽く嫌悪を覚える。次からは気をつけよう。
「……というか」
鏡を通して今の自分の姿を見る。
「安物だけど、一応これって俺の一張羅なんだけどな……」
暗にセンスが無いと批判されたような感じがして、軽く凹んだ。
希愛のことを雛月に告げ、朝霧は食堂に案内された。
広い食堂は窓一つ無く、かなり縦に長い机が用意されていた。最も長い直線で、向き合うようにして二人分の食事が用意されている。随分趣向の凝らされた部屋だが、朝霧には金の無駄遣いに思えてならなかった。室内は電気の明かりがなく、テーブルに並べられた蜀台に灯されたろうそくの明かりだけだった。
「俺の接待なら不要だ。食事くらいは頂くが、過度なものは不正に繋がる」
雛月は鋭い目つきを俺に向ける。
「この屋敷ではこれが当たり前です。お客様は、こうしてお迎えするのがこの屋敷の流儀です」
使用人を虐めても仕方ないので、これ以上言及せずに席に着く。後の文句は直接この館の主に言ったほうがいいだろう。経歴にあった写真は十三年前のものだ。どこまで老いぼれているのか見るのが楽しみである。
「……お待たせしてしまったかな」
凛とした声が食堂に響いた。奥の扉がいつの間にか開かれており、一人の女が歩いてきた。部屋全体が暗いため、女がテーブルに近づくまでその容貌は分からなかった。

「なっ……!」
女の姿が映し出されて、朝霧は思わず息を呑んだ。
長い金色の髪を靡かせ、黒色ドレスの少女だった。唖然としてしまうほどの美貌に相応しい優雅な歩き方だ。少女は呆然とする俺に薄い笑みを浮かべながら、軍団長が座るはずの椅子に腰掛けた。
「我が屋敷にようこそ。歓迎するぞ、特別調査官朝霧豊」
少女の態度を受けて、思考が一気に現実に帰ってくる。
……どうやら俺は徹底的に馬鹿にされているらしい。決まりだ。軍団長馬場は無能者だ。こんな大事な席に自分の娘に任せるとは。
「……軍団長はさぞやお忙しいのでしょうね」
皮肉っぽく少女に声を掛けてやる。
「まぁ、時と場合によるな。今は次の作戦に向けて色々と準備がある故、貴公を玄関で迎えることができなかった。非礼を詫びよう」
雛月が朝霧の目の前にステーキを中心とした料理を配膳していく。少女の前にも料理が並べられた。配膳が終わるのを待って、朝霧は話を再開した。
「昼間のことなら構わない。副軍団長が礼節をつくして迎えてくれた。それよりも気になるのは、今軍団の軍事活動は全面的に禁止されているはず。それなのに軍事活動をしているのか?」
少女が自分と対等以上の口調で話してくるのが気に入らない。この娘は親父から自分がどれほど重要な人物か聞かされてないのだろうか?
「作戦指令本部の意向に逆らうような行動をしているのであれば、問答無用で解散に追い込まれるぞ」
軽く怒気を含めてやる。
「実戦行動を禁止されているのであって、作戦立案そのものは禁止されていない。案ずるな。貴公の気に障るようなことはしていない」
少女の元にもステーキが置かれており、彼女は丁寧に肉を切り分けていく。朝霧のことなどまるで眼中に無い振る舞いだった。
「……いい加減にしろよ」
「うん?」
朝霧の中で釈然としない炎が上がっていた。
「軍団長を呼べ。俺は馬場錬磨に話がある!」
立ち上がって怒鳴った。
「……」
ちょっと驚いた表情で朝霧を見る少女。朝霧は少女を睨み付けながら言葉を続ける。
「俺は接待を受けに来た軍の人間じゃない。問題を起こしたこの軍団の調査をしに来た人間だ。報告書にはありのままのことを書かせてもらう。軍団長がこうも礼節を弁えない人間とは嘆かわしい。残念だが、この軍団の調査ここで―――」
「私が軍団長だ」
少女は薄い笑みを浮かべながら静かに言った。
興奮状態にあったので、少女が何を言ったのか一瞬分からなかった。
「もう一度言ってやろう。私が軍団長の寝宮優だ」
切り分けた肉からは赤い血が滴っており、それを口に運ぶ少女―――寝宮は魔女のように見えた。
「馬鹿な。軍のデータベースには確かに馬場の名前になっていたはず」
「名義は馬場のままだ。だが、あの男はもう軍団長として任務を果たせる状態にない。名義こそそのままで軍団の全指揮権は私にある。私は軍団長の代行者だ」
こんな年端もいかない娘が軍団長だと? ありえない。軍団長は飾りではないのだ。いくつもの死線を潜り抜けてきた百戦錬磨の人間ですら、あまりの重責に就任を躊躇うといわれる程のものだ。
「朝霧、ここは特殊作戦軍団だ。他の軍団とは違い、独断専行、独自編成、独立交戦権が与えられている」
「軍団長の代行もそれらの規定に則ったものだというのか?」
「そう。これは越権行為だとは考えていない。そもそもこれも策略の一つに過ぎない。この軍団はいくつもの特殊作戦を抱えている。不能となった軍団長では作戦に支障をきたす」
「代行したのはいつからだ?」
「正式には五年前。だけど、馬場本人は七年前から人として駄目になっていた」
「本部に報告すれば適切な人選があったはずだ。例え馬場の意思でおま……ね、寝宮殿がこの軍団を受け継いだのだとしても、軍は私物ではない。そんな人選は許可されないぞ」
「本部の連中などあてになるものか。私は馬場の意志でこの座に着いたのではない。軍団員に支持されてこの座に着いた。そうでなければ、私みたいな小娘の言うこと、一体誰が聞いてくれる?」
そうだろう?
と寝宮は笑った。
「……俺には軍団内で下克上が起きたように思える」
「だとすればどうする? 私を反逆罪で処刑するか?」
「その権限は俺に与えられていない」
言葉を区切って、朝霧はグラスに注がれていたワインを口に含んだ。酒には詳しくないが、自分みたいな素人でも分かる程の風味がよく味わい深い年代物のワインだった。態度こそ厚かましいが、自分は歓迎されている。
気を取り直した朝霧は、不毛な追求を辞めることにした。
「まぁそんなことはどうでもいい。俺の仕事はこの軍団が軍団として機能しているかどうかを調べることだ。軍団長がむさいオッサンであろうと、金髪美女であろうと関係ない」
朝霧の出した答えに寝宮は声を上げて笑った。
「気に入った。実に気に入ったぞ。朝霧」
……呼び捨てというのはイマイチ釈然としない。俺は絶対に目上だぞ。軍では例え相手が自分より階級が低くても年上であれば敬語を使うのが常識だというのに。
朝霧の内心などお構いなしに、寝宮は言葉を続けた。
「単身で我が屋敷に乗り込んでくる度胸といい、その言葉に衣着せぬ物言い。お前は私の右腕に相応しい」
「……褒め言葉と受け取っておこう」
自分を押さえつけ、言葉を選んで返事をする。薄い笑みを浮かべて、寝宮は話を進める。
「さて、私に関する疑問はもう済んだかな? 済んだのであれば、仕事の話に入ろうか」
「そうだな。本題に入ろう」
朝霧は予め暗記しておいた文句を口に出す。
「特別調査官朝霧豊。本日正午をもって特殊作戦軍団の軍事調査を作戦指令本部及び帝国議会の命を受け行うことをここに告げる」
この国は儀礼に拘る。多くの人間は馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないが、気持ちを引き締める意味もある大事な事だ。
「特殊作戦軍団長代行寝宮優は、軍団を代表してこれを快く受諾する」
目を閉じて寝宮は静かに答えた。
宣言するのが六時間も遅れたとあっては始末書モノだが、幸いこれを知るのは自分と寝宮しかいない。先輩には黙っておこう。
「早速だが、俺の見解を申し上げておく。資料を見る限り、ここ数年の軍団の働きは目覚しいものがある。今回の作戦失敗が不思議なくらいだ。正式な軍団長は任務不可能とのことだが、代行している副団長のもとで五年間の実績がある。現状では軍団長の変更意外に報告するようなことはない」
これはあくまで建前だ。これから根掘り葉掘り、この軍団のことを徹底的に洗うつもりである。
「そうか。我が軍団をそこまで高評価してくれると、私としても鼻が高い。軍団の仲間は家族のようなものだからな」
我が軍団、家族……ね。気になる単語を頭の中に記憶する。これから先の会話は全て報告する価値のあるものとなる。油断はできない。
「私は遠回りな言い回しや、オブラートに包んだ物言いが苦手でね。直接的に言わせて貰う」
寝宮の目が鋭く細められ、少したじろいでしまった。
「何だ?」
「調査書には私のことを書かないで欲しい。そして、軍団のことは問題ないと記述してくれ」
本当に言葉に衣着せぬ直接的な要求だった。
「それは脅しか?」
「調査官特権のある朝霧を脅したりはしない。仕事の話だと言っただろ? これはビジネスだ。取引しよう」
寝宮は始終笑顔だ。まるで朝霧が取引に応じることが当たり前だというように。上機嫌のまま姫はステーキを口に運ぶ。
嫌な予感がした。思わず自分の食べたステーキを見る。
「案ずるな。私は食事に毒を盛って、解毒剤で取引するような人間ではない」
心の内を見透かされてしまった。
「そうだな。例えば、私を抱く権利というのはどうだ?」
ぶっ。思わずワインを吹いてしまった。慌てているとナプキンが横から差し出されたので、遠慮なくこれを使った。
「ありがとう」
「いえ」
落ち着いた仕草で、一礼すると雛月は一歩後ろに下がった。
「私では不満か? お前の女好きの話は聞いている。これでも身体には自信があるんだぞ」
「あまりに直接な誘い方に驚いただけだ」
確かに初対面で、息を飲んでしまうほど寝宮は美しかった。男なら誰もが抱きたいと思うだろうし、同性ですら見とれるかもしれない。
「寝宮殿は十分魅力的だが、夜伽は間に合っている」
「ふん。あの希愛とかいう卑しい小娘のことか」
面白くなさそうに寝宮は呟いた。
「皐月。例の物を」
「はい」
寝宮の一言に、後ろに控えて給仕をしていた使用人らしい女性が応える。薄明かりの元、皐月と呼ばれた女性が朝霧の元に歩いてくる。
近くになるにつれ、その表情が明らかになってきて、朝霧はまたしても息を呑むことになった。
「朝霧様。これを」
「あ、ああ」
皐月は両目を包帯で何重にも覆っていた。それなのに真っ直ぐ歩いてきて、朝霧の目の前で止まり、レストランのメニュー表のようなものを手渡してきたのだ。この女は目が見えているのだろうか?
「皐月が気に入ったのか?」
ずっと皐月を見ていたために、寝宮にからかわれた。
「皐月は雛月の姉だ。見ての通り失明しているため、私以外の者の世話をさせていない。だけど、朝霧が望むのであれば雛月と代えてやってもいいぞ?」
「謹んで遠慮しておく。雛月さんですら俺には不要だ。使用人に身の回りの世話をさせようなど、くだらない因習だと俺は思っている」
朝霧の一歩後ろに控えている雛月が、少し動揺したように感じた。はっきりと自分の意見を述べた朝霧を、寝宮は笑みを消して真っ直ぐ見ていた。少しの間を置いて、その表情に笑みが差した。
「ふふふ、そう私を見つめるな。朝霧、そろそろ書類に目を通してくれないか?」
「おっと、これは失礼。寝宮殿が余りにも美しかったのでつい」
適当に皮肉を述べて厚手のメニュー表を開く。そこには二枚の紙が挟まっていた。契約書と書かれたその紙には契約文と共に、寝宮の署名があった。
『特殊作戦軍団の戦力を民間軍事会社イージスに貸与することを誓約する』
何て一文だ。
破格の契約文を前に、朝霧は思考が止まりそうになった。この女は俺に軍団一つを丸々貸してやると言ってるのだ。それも特殊作戦軍団である。国の精鋭軍を掌握できるとなると、これは下手に大金を貰うよりもずっといい。
「多くは語らん。部屋に戻りよく考えるといい。仕事は始まったばかりなのだから」
ナプキンで上品に口を拭くと、寝宮は席を立った。
「ま、待て、寝宮殿。俺は取引に応じるとは言っていない」
慌てる朝霧を、寝宮は一瞥した。
「……私は自分の名を好かない。これからは私のことは『姫』と呼ぶように」
そう命じると、姫は皐月を連れて部屋を出て行った。取り残された朝霧は、頭を抱えるしかなかった。
「何て仕事を引き受けちまったんだ俺は……」
姫の退出した時の風で揺れる蝋燭の火を見つめながら、独りごちた。